July
30
2008
越智さんにお別れの言葉と
感謝の言葉を言いに行ってきました
日本が誇る
日本を代表する
ボーカリストでした
過去形で書かなければならないのが
本当に残念です
ここ何年かは年に1〜2回ぐらいのペースで
一緒に仕事する事があったのですが
去年の10月12日の枚方市民会館でのコンサートが
最後になってしまいました
その時も僕の足のケガの後遺症の事なんかを
心配してくれたりする優しい越智さんでした
このブログも見てくれた事があったみたいで
「驚かせる」と言う日記を書いた時に
「あんた早よ続き書き〜や!」
とメールが来た事もありました
色んな想い出があるのですが
やっぱり一番印象に残ってるのは
初めて越智さんと共演した時の事です
10年ぐらい前だったでしょうか・・・
とあるホテルで毎週一緒に仕事してたのが
越智さんとの初共演でした
以前から凄いボーカリストだって事は知ってたので
とても緊張した記憶があります
越智さんなんかに比べたら
まだまだ若僧の僕に対しても
色々気を使ってくれる本当に優しい人でした
演奏中に満面の笑みで後ろを振り返って
僕の顔を見てくれる時は嬉しくてたまりませんでした
僕はこんな素晴らしい歌手と何年、いや何ヶ月
何日一緒に共演させて貰える事が出来るのか・・・?
そんな事を考えながら、その頃の僕は一回一回の演奏を
全力でプレーしてました
僕と越智さんは結構近くに住んでいたので
仕事の帰りは毎週僕が越智さんを家まで送ってました
車の中で色んな話をしました
音楽の話は勿論
プライベートな話まで
本当に色々話させてもらいました
「いつも送ってくれてるから」
「今日は私のおごりで何か食べに行くで〜!」
と半強制的に連れて行かれ
2人で「おでん」やら「うどん」やらを
食べに行った事もありました
そして時には「これ御礼とお詫びの品」と言って
ジグソーパズルをプレゼントしてくれたりしました
「お詫びって、何でですか?」と聞くと越智さんは
「アホやな!あんたちゃうわ!彼女にやがな!」って言いました
僕は当時彼女と同棲しており
そんな話を越智さんにもしてたらしく
「ホンマやったら仕事終わって直ぐ帰れるのに」
「毎回私を送って帰らなアカンやん」
「その遠回りしてる時間だけ彼女を待たせてる訳や」
「だからせめて待ってる間、彼女に時間潰して貰おう思ってな」
と言う理由で越智さんは
ジグソーパズルを選んだらしいです
俺は笑いながらも感動して泣きそうになったのを
今でも覚えています
人に対して感謝の気持ちを忘れない
本当に素晴らしい人でした
音楽的にも人間的にも色んな物を頂いた方です
そんな越智さんから頂いた言葉の中で
今でも大切にしている言葉があります
ある日、いつもの様に帰りの車の中で
話をしてる時に越智さんが言いました
「あんたはライブ系やな〜!」
「いつでもライブするミュージシャンや!」
「絶対そのまま行きや!」
音楽家以外の人には何の事か分からないかもしれないですが
僕にとっては物凄い色んな、そして物凄い深い意味がある言葉でした
毎回毎回全力で叩いていた僕の事を
ちゃんと見てくれていた事の驚きと喜びは勿論
最後の「絶対そのまま行きや!」の言葉が
越智さんが期待の意味を込めて僕に言ってくれた
重要な言葉だったから
僕はこの言葉が今でも忘れられません
そしてあれから
僕はずっとこの言い付けを守ってやってきたつもりです
どんな内容の仕事でも、初見で譜面見ながら演奏する仕事でも
関係なく、その時の自分が出せる精一杯の演奏を一生懸命する事
これだけは僕が胸張って言える唯一の事かもしれないです
それを導いてくれたのが越智さんでした
つい先日、後輩と飲んでる席で2人の後輩が言いました
「亮さんは、いつ何処で誰と何を演奏しててもライブなんです!」って
越智さん、越智さんが言ってくれた言葉と全く一緒でしたよ
ちゃんと守れてるみたいです
だからこれからも言い付けを守り続けるので
今度会った時は言って下さいね
「ちゃんと言う事聞いてるやん!」
「頑張ったら出来るやん!」 って・・・
その時が来るまで
僕は頑張ります
あなたの笑顔は
忘れません
越智順子さん
心よりご冥福をお祈りします
author : Akira Kobayashi
| Category:まじめな話 | 06:27 AM | comments (2) | trackback (0) |
新着コメント(最新5件を表示)
不勉強なので
このブログで初めて越智順子さんの名前を知り
You Tubeでチェックしました。つやと伸びと深みと暖かみとなめらかさのある
素敵なヴォーカリストだったんですね。
声の良さや歌のうまさだけでなく、その人間性から醸し出される
ステージワークも魅力的だったのだろうな〜。
もっと、早く知っていればよかったと、悔やんでいます。
ご冥福をお祈りしています。
”あにき”も元気だしてね。
| トリマキ | EMAIL | URL | 2008/08/06 04:21 PM |
亮さんのブログで越智さんのこと知りました。
残念でなりません。
すごく優しくていい方だったので、本当に残念です。
すごく悲しくなりました。
| ぷりん | EMAIL | URL | 2008/08/06 05:45 PM |
January
19
2007
一昨日は神戸の長田って所に行っていた
「1.17NAGATAゴスペルコンサート」
に出演する為である
12年前の震災から毎年行われており
今年も神戸の至る所で色んな行事が行われていた
確か震災があった年には大阪の何カ所かで行われた
チャリティーコンサートに数回参加した覚えがあるが
今回12年ぶりに参加して色んな事を思い出した
直接の知り合いや身内が被害にあった訳では無かったのだが
知り合いの知り合いとか身内が犠牲になった話も沢山聞いた
ある人が言っていた・・・
「神戸の街は驚くほどのスピードで復興し
地震の傷跡も見た目は無くなっているかもしれない」
「でも犠牲に遭われた人や、その家族の傷は
何年経っても全く変わる事は無い」
と・・・
俺は当時も大阪に住んでいたので地震の揺れは
神戸等に比べると全然マシだったが、それでも今まで
経験した事の無い物凄い揺れだった事を覚えている
あれの何倍って程の揺れを経験し、周りの建物も倒壊し
街中が火の海となっている中を歩いて避難し
食べる物も無い中、行方不明者の捜索や犠牲者の救助をする
そんな悲惨な事を体験された人達の当時の状況や
今現在の気持ち等、この俺なんかに理解出来る訳が無い
「大変だったでしょう」
「辛かったでしょう」
「よく頑張ってこられました」
「これからも応援してます」
だから俺はこの様な言葉が言えない・・・
言うのが怖い・・・
ひねくれているのか俺は・・・
実は去年のこの時期も地震について
このブログで何か書こうかと思った
でもやっぱり何も書けなかった・・・
正直、俺なんかが・・・
何て書いたらいいか分からなかった・・・
でも今回参加して色んな事が蘇ってきたので
何か書こうと思った
その人達の身になって・・・とか
失礼に決まっていると思うので
俺がこの目で見た事、聞いた事
そして体験し感じた事だけを書こうと思う
1995年 1月17日 早朝
夜更かしが日常だった俺は
夜中の4時頃布団に入った
ようやく深い眠りに入った頃だっただろうか・・・
背中を突き上げる様な衝撃の後、暫く続いた縦揺れ・・・
そしてその後襲ってきた大きな横揺れ・・・
一瞬地震だと気付かなかった事を
今でも鮮明に覚えている
今まで体験した事の無い激しい地震に
慌てて布団から飛び出し暫く呆然としていた
大阪のマンションに住んでいた俺は、自分の部屋の状況から考えても
さほど被害も無く、ちょっと大きな地震だったのかな?
それぐらいに思っていた・・・
しかし・・・何か嫌な予感がしたので
テレビをつけて地震情報を待った
すぐに地震速報が入った・・・
報告された震度は驚く程だった・・・
しかし被害は確認されていないと言う事だった・・・
少し安心したので再び寝ようと思った俺は
再度布団に入ったのだが、何故か眠れない・・・
それから数時間・・・
俺はずっと・・・
テレビの前に座っていた・・・
30分後・・・
1時間後・・・
2時間後・・・
3時間後・・・
次から次へと阪神エリアの状況が入ってくる
しかも分単位で悪化していく最悪の事態
テレビの画面で映されている光景は
もはや俺の知っている神戸では無かった
俺は恐怖すら覚える地獄の様な映像を
それからも暫く見続けていた
そうしている間にも数件の電話が入る・・・
実家からや遠方に住む知人から等
安否を確認する電話である
俺も神戸近辺に住む数少ない知人達と連絡がとれ
無事を確認する事が出来た
そんな頃からだ・・・
だんだん電話が繋がらなくなってきたのは・・・
数時間に一回ぐらいのペースで電話が入ったと思ったら・・・
「お前大丈夫か?全然電話が通じないから大変な事になってるんかと思ったわ!」
等と言われて電話回線がマヒしている事に気が付く・・・
既に思い当たる知り合いの安否は確認出来ていたので
そんなに困る事も無いかな・・・?と思った時だった
中学時代からの親友の彼女が確か神戸だった事に気が付いた!
心配になったので親友に電話をしてみる事にした
その親友は大阪に住んでおり(結構俺の近くに住んでいた)
当時は頻繁に彼女とも一緒に遊んでいたので余計に心配になった
とりあえず電話してみる・・・
しかし繋がらない・・・
暫くしてから再度かけてみる・・・
でも全く繋がらない・・・
仕方が無いので家に行って(近所だから)
聞こうかなと思った瞬間だった!
俺はある事を思い出したのだ!
親友が言っていた事を・・・
毎週 土曜 日曜は・・・
彼女のマンションに行って・・・
泊まっていると・・・
そう! 17日は月曜日!
土曜、日曜と泊まって彼女の家から
そのまま仕事に行くと言っていたので
間違いなく彼も神戸に居る事になる!
なんとしても連絡をとらなければならない!
一刻も早くだ!
しかし電話は何時間経っても繋がらない・・・
そして昼頃だっただろうか・・・
今まで発信音さえしなかった電話から
留守番電話のメッセージが聞こえたのだ
(コールは一回もしなかったが)
俺は聞いてくれるかも分からない
留守番電話に、とりあえずメッセージを入れた
「とにかく連絡が欲しい!」
「どんな方法でも構わない!」
「誰にでも構わない!」
「繋がりそうな人に連絡してくれ!」
「その人から連絡を回して貰える様に頼む!」
それだけ入れて電話を切った・・・
電話を切ってからも何回も電話し続けた・・・
でも発信音さえしない状況が再び続く・・・
それから数時間もの間、テレビの速報を見ながら
ずっと電話をし続け、気が付いたら部屋の外は
暗くなっていた・・・そう夜になっていたのだ!
その時だ!
電話が鳴った!
ずっと連絡を待っていた親友からだった!
彼の声を聞いた瞬間、体中の力が抜けて
一瞬声が出なかったのを今でも覚えている
親友も彼女も無事だった
地震があった瞬間から今に至るまでの
事を簡単に聞かせてもらった
彼女の住んでいる場所は板宿と言う所で
最も被害が大きかった長田から歩いて行けるぐらいの
場所にある所だった
彼女のマンションは半壊したらしく
部屋の中は無茶苦茶になっているらしい
大きな家具が倒れてきたが下敷きになる直前で
ベッドのパイプに助けられたらしい
玄関のドアは開かなくなってしまい
窓ガラスを割って脱出したらしい
そして今は近くの小学校に避難していると
周りでは全壊した建物が多く、下敷きになったままの人が
未だに沢山居るが救出する事も不可能な状態らしい
長田の辺から火の手が上がっているのが見えるらしく
それが昼ぐらいから酷くなって(広がって)きていて
今避難している小学校に迫ってきているとか
電気も水道も止まったままで、電話も殆ど繋がらない状態で
何がどうなっているのかさえ分からない状況だとか
彼女は怯えてしまい動けない様子で
遠くに離れたいが移動する手段が無いらしい
俺は言った・・・
「今から行く!」と
そんな話を聞いて「ほな気を付けて頑張れよ!」
なんて言えなかった・・・
滅多な事では動じない親友が俺に心配かけない様にと
無理して平常を装っているのだが・・・
その声を聞いたら普通では無い事ぐらい
俺には分かった・・・
今居る場所を確認し電話を切った・・・
とにかく俺は冷静に考えた・・・
まずは情報を入手する事が大切である
神戸に向かう道路の状況を調べる事が
最優先なのだが、調べれば調べる程
絶望的だった・・・
大阪から西に向かう道路は全て機能していなかった
17日の夜の時点で、高速道路は全て閉鎖されたままで
神戸方面に行くための国道2号線、43号線、171号線は
全く動いていなかった
テレビを見ても一般道路の風景が映されており
午前から10時間ぐらい経つのに数メートルしか
進んでいないとか報道されていた
慌てて飛び出して、もしそんな所に入ってしまったら
迎えに行くまで何日かかるか分からない
俺は地図を見ながら必死に考えた・・・
続々と入ってくる情報と照らし合わせながら
2〜3時間考え、あるルートを導き出した
必要最低限の物を買い、ガソリンを満タンにし
午後10時に俺は大阪を出発した
まずは大阪の北端を目指した
驚く程に大阪の道はガラガラで
ほとんど車は走っていない
なのですぐに箕面までは行けたのだが、そこから171号線で
西に向かう事は出来なかった(171号は渋滞だった)
そのまま北に向かい大阪府の北端、豊能郡に行き
そこから西に向かって兵庫県に入った
大阪を出て数時間、やっと三田市まで来る事が出来た
そこから有馬を通って神戸市に南下するのが
俺が考えたルートだったのだが
暫く走ると・・・
通行止め・・・
まさかこんな所が・・・
何時間も考えて導き出したルートが
一瞬で意味の無い物となってしまった瞬間だった
少し引き返し考える・・・
地図を見ながら別のルートを探してみては
山道に入ってしまい行き止まり・・・
もう無理かもしれない・・・
そう思った時だった!
行き止まりの看板の前で呆然としている俺に
一台のトラックがクラクションを鳴らした
「兄ちゃん!神戸に向かってるんか?」
「俺もそうなんや!やっぱりここも無理か〜!」
「絶対にって言う保証は無いけど、あと何パターンか
可能性がある道を知ってるから一緒に来るか?」
俺に救いの手が差しのべられた・・・
その後、そのトラックの後ろを走っていたので
あまり詳しく覚えていないのだが
おそらく三田市から南へは行かず
そのまま吉川町の方まで西に向かったと思う
そこから舗装されて無い様な道も走り
山を2〜3個超えて南下したら
鈴蘭台(神戸市の北端)近辺に出たのである
ここで助けてくれたトラックとは別れ
俺は更に南下する事にした
神戸市に入った辺りから異様な光景が
飛び込んでくる様になった
そこらじゅうの地面は割れているし
電柱が倒れたままの状態になっているし
そして割れた地面からガスが噴き出していたり
これが日本なのか?
本当にそう思った・・・
そして夜明けだった・・・
ついに目的地に到着する事が出来た!
最寄り駅周辺まで車で近づけたのだが
そこから先へは進めなかった
何も作業をしていない消防車やパトカーが
何十台も停車してあるが隊員は居ないし
少し離れた所で火事が起きていて
そこに向かって消防のホースが敷かれているが
水は通っていない様子である
歩いても進めない道も多く、変に歩くと迷う恐れもあり
親友が避難している場所に行く事すら出来ない
「頼むから繋がってくれ!」
そう願いながら電話した何度目か・・・
奇跡的に電話が通じた
そして彼等と会う事が出来た
本当に家を飛び出したままの姿で現れた二人
俺には想像も出来ない様な事が数時間前に起き
その後も想像を絶する地獄の様な光景を見てきた
そんな二人に・・・
俺はかける言葉が見つからなかった・・・
そして俺は二人を連れて大阪に戻ったのである
大阪に到着したのは夜だった・・・
後になって色んな事を思った
どうして行く前に援助物資をたくさん買って
避難している人達に持って行ってあげなかったのか
他にもケガをしている人等を一緒に
連れて来てあげれば良かったのに
あの駅周辺にも、もしかしたら下敷きになったままで
助けを待っている人が居たのかもしれないのに
言い出したら・・・
きりがない・・・
結局は全然冷静では無く、目先の事しか考えれてなくて
所詮は人事って認識だったのかもしれない
友人を迎えに行く事なんか当たり前の事だ!
他の困っている大勢の人達が居たのに
何か出来たかもしれないのに
あんなに近くまで行きながら何もしなかった俺・・・
本当に情けないが・・・
それが現実で事実なのだ・・・
12年経った今でも忘れる事が出来ない被災者も多いと言うのに
そんな俺は月日が経つと、こんな情けない思いをした事さえも忘れてしまう
1月17日
この日は俺にとって
そんな思いを忘れさせない日でもある
今年の1月17日(一昨日)
俺は神戸市長田区に行けて本当に良かった
author : Akira Kobayashi
| Category:まじめな話 | 11:25 PM | comments (5) | trackback (0) |
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よーわかるわぁ〜その気持ち・・・何もでけへんかった自分に対してのイライラとかがね!
うちは、姉の家が半壊でドア蹴り壊して救出してそのまま母上の家に向ったけど中は怪獣が暴れた後のようになってたわ母上は、すでに親戚宅に避難してたので一安心した。
大阪から宝塚まで何時間掛ったやろ まぁ母上の顔見てほっとしたのを覚えてるわ
(タンスに挟まれて痣だらけやったけど)
忘れられへん事やし忘れたらアカンな!
| D | EMAIL | URL | 2007/01/20 03:04 PM |
読むだけで 言葉に詰まってしまったよ。
そ・・・。 私も なんとも同感とゆーか、っていうか、
言うのが怖い・・・
ひねくれているのか俺は・・・
・・・というのは、亮さんだけぢゃなくて
多分、沢山の人たちが思ってると思う。私もそう。
実家の広島にいたけど この日は 彼らの災難には申し訳ないよな
平凡で幸せな日だったことは覚えてる。
家族と彼氏とで一緒に家にいた。朝になってびっくりするような夢をみました。
夢の中で グラグラ振り回されるのに立てなくなってたんだけど、目が覚めたらまだ実際に部屋が揺れていて、夢の中でみたそれは 地震だったってことに気がついた。
そのまま学校に行くと、昼休憩のテレビでは ものすごいことになって驚いた。
クラスメートが神戸の彼氏の家に行ってたけど、なんとか命は助かって からがらんなって帰ってきて その様子を教えてくれたけど、虚しく想像することしかできなかった。
今年は、会社の同僚と電話でその話しになったけど、相手は神戸に住んでのいたので、その日の話が生々しくて聴くのが精一杯だったです。 だから、何もかける言葉がみつからないというか・・・。
忘れされらていくことが多いほど毎日が早いペースで進んでるけど、
ほんと、忘れたらあかんことやね・・・・。
この日記読んでてなんとも言えない気持ちで胸が締め付けられたけど
いろんなこと書いてくれてありがとです。
何もできることはないけど、読んでて、
日々 人に対して 親切になりたい・・・って ちょっと思った。
| kana | EMAIL | URL | 2007/01/20 03:54 PM |
日記を読みながら。。。
何度も読み返しながら。。。
コメントを今日まで出来なかった私です^^;
感動的な行動をとってたAkiraさんの日記に号泣しちゃったやん!!!
戦争は知らないけど〜
戦争時代と変わらない光景を目にした瞬間。。。
生きてる事にだけ感謝をした日でした^^;
本当に人の本質が出るんですよ!
こんな時って〜人間模様も沢山体験しました^^;
若干23歳で(苦笑)
いのししの年には何かがおこる・・・でもまさか神戸にあんな大地震がおこるとは予想も出来なかった事です^^;
今でも、オレンジに染まった夕焼けを見るのが怖いです><。
普段は、おちゃらけの私も地震を経験してるんです(苦笑)
命があること〜
知らない場所でも支えて下さっていた方々に〜
これからも。。。
常に感謝しながら人生楽しみ生きていこうと思っています^^c
2度とこんな大震災がおきませんように〜☆願うばかりです♪
| Elli♪ | EMAIL | URL | 2007/01/21 03:45 PM |
ご無沙汰。ちょくちょくH.Pは覗きに来てるで。
いろいろ忙しそうやし、なにより元気そうやから安心安心。
この正月は、こっちのみんなも忙しくスケジュールが合わんくて
集まる事なかった・・・ま、貧乏暇なしですわ(><)
12年前のおまえは立派やったと思うで。
俺なんか心配するばっかりで友達を迎えに行くことも出来んかったんやから・・・
Blogの中のTちゃんも元気やで。最近は彼女の居てる神戸に行ったり
彼女がこっちに来たりで楽しそうにしてる。早よ結婚すりゃあええのにな。
今年は暖冬っちゅうけど、これからまだまだ寒くなるやろうから
風邪なんひかんようにな。
またこっち帰ってきたら酒でも飲もうや!
| hiko | EMAIL | URL | 2007/01/22 02:33 PM |
>Dさま
身内が被害に遭われたなんて・・・
本当に無事で良かったです!
>kanaさん
みんな色々立場や体験した事が違うんだから
思いも違って当然ですよ
当たり前の事なのかもしれないですね
>Elli♪
あなたの様に直撃で体験した人には
本当に何て言えば良いのか・・・
俺なんか全然感動的な事なんてしてないよ
逆に何も出来なかったんだから・・・
>hiko
コメント有り難う!
返事遅くなって申し訳ない
みんな元気そうで良かったよ!
今年こそは会いたいよな!
| Akira | EMAIL | URL | 2007/01/29 04:49 AM |
December
26
2006
キリストの誕生日である今日
クリスマスと言う日に
一人の神様が・・・
キング・オブ・ソウル
ソウル界の ゴッド・ファーザー
ミスター・ダイナマイト・ソウル
と呼ばれた
巨星 JB が
この世を去った
あのマントの中で安らかに眠って下さい
ご冥福を祈ります
author : Akira Kobayashi
| Category:まじめな話 | 02:42 AM | comments (3) | trackback (0) |
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偉大な人がまた一人亡くなられましたね・・・。
僕も冥福をお祈りします。
| フッコン | EMAIL | URL | 2006/12/26 11:18 AM |
JBには妹がおるんやけど日本にいると言う事は意外と知られていない。
(俺も最近知ったのだが、、)
やっぱり兄妹だけの事あるなー。
彼女には濃いファンクの血が流れてるのが伝わってくるよ!
http://blogs.wankuma.com/jeanne/archive/2005/04/18/12294.aspx
| 也純 岡松 | EMAIL | URL | 2006/12/26 09:50 PM |
>フッコン
最近色んな人が逝ってしまうよな・・・
ほんまに残念やわ・・・
>也純 岡松さん
非常にコメントしにくい・・・
本当に妹が日本に居るんやと思って
見てしまいました・・・
| Akira | EMAIL | URL | 2006/12/28 05:23 AM |